朝顔日記

19日〜21日

2003-08-22

19日〜21日の3日間、山で何をしていたのか忘れないうちに書いてておきます。

1日目

前日、山で遭難が発生、捜索依頼が出されたので、遭難対策協議会の事務局より出動の可否を打診された。どうにか日程をやりくりできそうだったので捜索に参加することを決めた。

遭難者は13日入山、16日下山の予定だったそうだが、19日現在いまだ下山を確認されていなかった。

初日は気象状況が許せば、ヘリで現場に近い黒岩平というところに入る予定だったが、あいにく朝から天候が思わしくなく、ヘリは飛べないとのこと。仕方が無いので、歩いて黒岩平へ入ることになった。警察の車で、新潟県にある黒岩山への登山道、「中股新道」の登山口まで送ってもらう。富山県警山岳警備隊員2名と、私ともう一人の遭対協隊員の計4名で昼前に出発。

元々ヘリで入山できると思っていたので装備の軽量化を怠っており、相当に重荷で苦しい登りでした。本当はこういう時のために日頃からトレーニングしておくべきなんですが…。:p)

夕方、黒岩平に到着し、ベースキャンプを張る。基本的に黒岩平は幕営禁止だが、この際はしょうがない。なるべく便利で、植性に影響のなさそうなところを選んだ。

設営後はとくにすることも無いので、翌日の捜索方針などを打ち合わせるが、時折遠くでスノーブリッジが崩壊する時の音と思われるドーンという音が聞こえる。遭難者はスノーブリッジの崩壊に巻き込まれたのではないかなどと話し合う。明日捜索予定の黒岩谷にもスノーブリッジが残っている可能性が高いので、二次遭難を避けるために、不用意に入り込まずに、翌日ヘリで、偵察の後捜索に入ることとする。

2日目

富山県の防災ヘリの到着を待って、隊員2名が捜索に向かう。黒岩平はガスっており、なかなか見つけてもらえなかった。私ともう一人の隊員は、無線中継をするために黒岩平に残って、黒岩谷の降り口辺りを偵察したりして午前中を過ごした。

午後からは、ヘリからの捜索に戻ってきた2名の隊員と打ち合わせて、2名は別の地点へ移動、ビバークして捜索にあたり、私ともう一人の隊員はヘリで捜索後、再び黒岩平へ戻ることになった。

とりあえず4名でヘリに搭乗。ヘリはいったん北又のヘリポートへ向かい、私ともう一人の隊員をいったん降ろして、二人の隊員をビバーク予定のデンポのオボネ付近へ搬送に向かった。デンポのオボネは着陸できるような地形ではないので、空中からワイヤーを使ったホイスト降下しなければならないため、ヘリの負担を軽くするために、私たちをいったん降ろしたのである。

ヘリが戻ってきて再度搭乗。北又谷本流の捜索を開始する。本流は相当増水しており、遭難者は流されている可能性も高い。北又ダムのバックウォーターから捜索に入る。

私はヘリによる捜索は初めてだったのですが、ヘリに搭乗している消防の隊員がいきなりヘリの両サイドの扉を開けたので驚いた。なんと、ヘリの扉を開けて足をヘリの外に出してヘリに腰掛ける形で下を覗き込んで捜索するらしい。命綱は付けているものの、これは相当怖い。なんせ私は高所恐怖症ですから。:p)

北又谷は相当に増水しており、沢歩きできるような状態ではなかった。黒岩谷出合い付近まで捜索して、ヘリの燃料が限界に近づいてきたので、黒岩平に戻ることになった。しかし、黒岩平はガスっており、ヘリが侵入できそうにない。しょうがないので、黒岩谷の左股の途中で空中からホイスト降下することになった。腰につけたハーネス=安全ベルトにワイヤーを取り付け、空中でホバリングしているヘリから降下した。高度は20mくらいだろうか。正直こわかったです。

ヘリは私たちを降ろした後、たちまち見えなくなり、富山空港へ帰投した。私ともう一人の隊員は捜索しながら黒岩谷を詰めて、黒岩平のビバーク地点に戻った。

3日目

捜索は予定を変更して1日延長になったのだが、私の日程は延長できないので、可能ならばヘリで、無理ならばまた歩いて帰ることになっていた。

3日目も黒岩平はガスが濃い。ヘリは何度か接近を試みたが果たせなかった。ヘリは残る隊員に無線関係の装備渡す任務もあるために、北又本流付近を捜索しながら待機するので、天候がよくなればまた無線を入れてくれと言い残して、飛び去って行った。私はまた重い荷物を担いで歩いて帰らなければいけないのかとちょっとがっかりしていたが、標高1400m以下ならばガスはないようだったので、黒岩谷を下ってホイストで収容してもらえばよかろうということになった。もう一人の隊員もいっしょに下り、前日歩いていない黒岩谷右股を捜索すると言う。

そうと決まれば急げというわけで、駆けるようにして黒岩谷の左股を下った。前日降下した地点よりも少し下ったあたりでヘリを待つ。ヘリの接近に合わせて位置がわかるように発煙筒をたいた。ヘリより消防の隊員がホイスト降下してきて、無線の装備を無事引き継ぐことができた。その隊員と私は同じ1本のワイヤーにぶら下がってヘリに収容された。ワイヤーにぶら下がっている時は非常に不安なわけですが、高度はどんどん上がっているのになかなかヘリに収容されないので上を見て驚いた。ワイヤーの長さそのままにヘリが上昇していたのです。多分気流の安定する高度まで上がっていたのだと思いますが、それにしても高くて怖かったです。

5分ほどでヘリは下界まで私を連れて行ってくれて、昼前には帰ることができました。遭対協の事務局がある役場と警察に報告に行った後、帰宅。

その後、遭難者が自力下山して無事であった旨の連絡を受けました。

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