音楽の話しその5
2003-01-30
今日の富山県地方は、雪は降っているものの小康状態です。寒気が抜けたわけではないのでまだ寒いですが、昨日のでだいぶ身体が慣れたのか、さほど寒いとは思わなくなりました。
その4の続きです。
Cultural Vomit
バイトしていた名古屋今池の HF も、初めは出たい人はほとんど自由に出れるくらいだったのですが、次第に出演を希望するバイトが増えてきたので、一応デモテープを持参してもらって、ある程度面白くないと出れないようになりました。誰が審査していたかというと私です。:p) だもんで、結構いい加減でした。(w 上手でもあまりにも普通だとボツにしていたような気がします。下手でも個性的だと無条件に OK していました。
当時 HF に出入りする人の中でも、もっともおしゃれな人の部類の水野君がある日一人でやってきました。その日はライブがない日だったので、お客さんは誰もいませんでした。水野君は、腹が減っているので、焼きそばを作ってくれ。
と言ったのですが、あいにく私が買い物をサボったので、焼きそばはありませんでした。無いと言うと、なんでもいいから食べさせてくれ。
と言うので、冷蔵庫を見てみましたがやはり何もありません。ソース御飯でいいかと言うと、いいというので「ソース御飯」を作りました。御飯を炒めて、ソースで味付けしたものです。具はありません。:p) しかし、いまだに水野君に会うと、あの時のソース御飯の味が忘れられないと言います。(w
水野君は、今度ライブやりたいんでどうかと訊ねました。デモテープを聞いてみると、リズムボックスを使ったテクノっぽいものでした。結構面白い音でした。
いいよ、その代わり、僕も入れてくれない?
という感じで、私も彼のバンド "Cultural Vomit" に参加することになったのです。私がデモテープを聞いた時点では、女の子のボーカルがいたのですが、結局その女の子はすぐにやめてしまったらしく、私はあったことありません。したがって、メンバーは、ボーカルとギターと、リズムボックスの操作の水野君に、ベースの松井君、アルトサックスの私の3人です。のちには、バイオリンでユズル君も加わりましたが。リズムボックスは多分、Roland TR-606 ではなかったかな。あるいは、808だったかも。
カルチュラルのウリは、リズムボックスを使った音も然る事ながら、映像表現に凝っていることでした。例えば、ライブ中は、照明代わりに自作のスライド画像をステージいっぱいに映したりしていました。まぁ、Velvet Underground の真似なんですが。(w
スライドの映像は、模型なんかに使う田宮のプラバンにマジックで書いていました。ライブ直前に書いたものだと、照明の熱で、インクがとけて動いたりしておもしろかったです。釣りの餌なんかに使うゴカイを入れてはどうかとかいう話もありましたが、実現しませんでした。(w
また、ベースの松井君がビデオ制作会社に勤務していたその道のプロだったこともあって、ビデオも使ったりしました。例えば、ステージ上にビデオのモニタを置いて、その中で一人のメンバーが演奏し、あとの二人はそれに合わせてステージで演奏するとか、車で HF にやってきて、入り口のドアを開けて入ってくるところをまでを撮影しておいて、それをステージで流し、それに合わせて登場するとか。アマチュアのバンドでそんな変な演出をするバンドは当時いませんでした。:p)
音楽自体は、リズムはリズムボックス使用ゆえバチッと決まっているものの、歌詞はないというかあるというか、水野君がデタラメな英語風の単語を並べた即興でした。ベースの松井君はまじめに弾いていましたね。私は、メインのリフ以外はほとんど即興でデタラメやっていました。既成の曲もやりましたよ。T-REX の "20th century Boy" とか、ハチャトゥリアンの「剣の舞」とか。
なにせリズム感の無い私ゆえ、最初はリズムボックスと合わせられなくて苦労しました。いくら私は自由にやってよしといわれても、やっぱりキメのところはバチッと決めないとかっこ悪いですからね。King Crimson の「21世紀の精神異常者」なんかは泣きたくなるほど難しかったのを覚えています。
カルチュラルに参加することで、ライブの場所もバリエーションが出てきました。ある時は、ファッションショーに出たこともあります。ウソじゃないですよ。本当です。信じて。(w
まだその6へ続く:p)
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