朝顔日記

すみません

2003-03-15

ここ数日前の日記から、各記事の保存版のURIを間違えて記述していました。そのまま何とかならないかと考えましたが、なんともしようがないので記載してあるURIを変更しました。関係各位には謹んでおわび申し上げます。

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自転車に勝った

2003-03-15

またまた、昔話で失礼。:p)

高校生の頃、友人と学校から帰るときのこと。どうでもいいようなことを話しながら、並んで自転車に乗っていた。その時、ふと私は思い付いたことを口に出してみた。

「お前の自転車の回っている車輪に俺の足を入れたらどうなるだろう?」、と。

友人はそんなもの、怪我するに決まっていると言ったが、私は何故か自信があったので、やってみてもいいかと尋ねた。友人は、怪我しても知らないからやれるものならやってみろみたいなことを言った。

よし、と私は彼の自転車の回っている前輪に足を突っ込んだ。途端に、彼は自転車諸共ひっくり返った。

私の足は無事だったが、彼の自転車のフロントフォークは無残な形に変形していたのだった。

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車に轢かれた話し

2003-03-13

私は車に轢かれたことがある。だいぶ前に名古屋に住んでいた頃の話しだ。「ラッタッタ」と呼ばれるような貧弱なスクーターに草履を履いて乗っていた。信号待ちで停車している時に、足をスクーターの横に放り出していたんだ。私のすぐ右後ろには1台の車が停車していた。信号が青になり、私が出るよりも先にその車が先に発車した。その時、私は声がでなかった。私の足の上にその車の前輪が載ったのだ。

運転していたのは、女子大生かなんかの2人組み。私の異変に気がついたらしく、慌てて車を停車させた。おかげで車輪は私の素足の上に載ったままだ。どうもこういう場合、人間は声が出なくなるものらしい。私は身振り手振りで車を進めてくれるように懇願した。ようやく気がついて車を出してくれたので、私は解放されたのだった。女の子は慌てて車から降りてきて、「大丈夫ですか?」みたいなことを言ってくれた。私は動けるようになるとまったく何ともなかったので、大丈夫だと答えた。彼女等は逃げるように走り去って行ったのだった。

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Web 日記占い

2003-03-12

/*inu-memo*/ 経由でWeb日記占いをやってみる。

のり さんは 思考日記 を書くと多くの人を魅了します。

あなたは純粋に自分の考えを論理的に推し進める形の文章で作られた日記を書くと成功するかも知れません。

のり さんが書く日記の性質
人間度 50
精神度 66
思考度 80
変態っぽさ 75
やましさ 66
のり さんの日記のオススメの題名
虫歯と私日記
のり さんが今日書くと良い話
一昼夜かけて
おそらくロココ調
驚いたのは便器から
うっすらと透けて見えて

上の言葉をすべて使って 年を感じた話 風にまとめると良いかも。

というわけなので、そのように書いてみた。:p) 文中の強調部分は、お題の部分です。

虫歯と私日記

手元にひとつのコップがある。一見何の変哲もないただのコップのようであるが、そう見えるのは私の内省が足りないためだろう。このコップが私の手元にやってくるまでには、様々な出来事があった筈だ。原料を取ってきた人もいれば、それをガラスにした人、ガラスをコップにした人、おそらくはコップを売った人、買って手放した人。その時々でいろいろなドラマがあった筈なのだ。

私は、一昼夜かけてこのコップと語り合おうと思う。

私の手元にこのコップを届けてくれたのはN君である。彼は、このコップをフリーマーケットで手に入れたらしい。一目見て私に似合う気がしたので思わず買ってしまったといっていた。古ぼけた金属のケースに入ってそのコップはあった。今は錆びてしまって見る影もないような箱だが、おそらくロココ調の紋様が刻まれたそれは、結構高価な品だったのではないか。N君は300円で手に入れたと言っていたが…。

コップはいわゆるタンブラーと呼ばれる平底のやや大きめのものだ。透明だが、やや青みを帯びている。飾りは全くないが、元は飲み口の周りに金でも引いてあったのだろう。光にかざしてみるとその名残がうっすらと透けて見えている。おそらくは、食卓で水でも飲むのに日々使われていたのではないか。今はガラスも擦り切れたのか、それが持つ本来のきらめくような光沢は失われ、鈍く光っている。持ち主がそんなことも気が付かない位、日常的に愛用していたに違いないのだ。ただ、どこも欠けることもなく丁寧に扱われていたであろうことは、このコップを見たものならばすぐに気が付くだろう。

そんな日々の生活をともにするようなコップを前の持ち主は何故手放したのだろうか。普通、そういう類のものは手放したりはしない。落として割ってしまうとかそういう末路を辿るはずなのに。

こうは考えられないだろうか。このコップは前の持ち主も誰かからプレゼントされたものだった。彼はプレゼントがうれしくて、日々それを大切に扱い愛着をもって使っていた。しかし、彼とそれを送った人の間で何かがおきて、それゆえにそのコップを使いつづけることができなくなった、と。

この考えは私を喜ばせた。このコップは悲恋のコップなのかもしれない。しかしそうだろうか?あるいはこういうことも考えられる

コップよりも先に前の持ち主の寿命が尽きた。それで遺族が、形見分けにそのコップを友人か誰かに譲り渡し、それをたいしてありがたく思わない友人が売り飛ばしたとか。

この考えが浮かぶにいたり私は急速にこのコップが不浄なものに感じられてきた。こんなコップのどこに歴史があるというのか。

数日後、私は妻にコップを処分するよう頼んだ。それからしばらくそのコップのことは忘れてしまっていた。きっと妻は不燃ゴミか何かに出してしまったに違いないと思っていた。ところが、驚いたのは便器から立ち上がったときだ。なんと座り込んでいる時は気がつかなかったのだが、あのコップは、トイレの中で安っぽい造花を活けて今も我が家にあったのだった。

それにしても、コップの処分をしなかった妻を咎める気になれない私は、それなりに年をとったということか。

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