今年は私の厄年だったんですが、それも残すところあと数時間で終わろうとしています。このまま何事もなく終わってくれるといいんですが。
今年からこの日記サイトをはじめて、たくさんの皆さんと知り合いになれたし、いろいろありましたが、結構いい年だったと思っています。お世話になった皆さん、どうもありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。
よいお年を!
妄執日記経由で、スーパーカブのマンガを読む。懐かしい。
昔、イマちゃん(誰)のカブを借りてよくツーリングしていたことを思い出した。その頃のバイク仲間は、何故かみんなカブを持っていて私だけカブを持っていなかったのだ。マサ(誰)なんかは、C100も所有していてうらやましかったなぁ。
ある時マサとカブ2台で泊りがけのツーリングに行ったことがある。その時は、マサのカブはOHCエンジンのものだったと思う。矢作ダムのほとりのベンチでごろ寝して、翌日は茶臼山へ行ったのではなかったか。
茶臼山の有料道路では、マサと競争になった。直線では私の乗っているイマちゃん号のほうが早かった。マサはそれが口惜しかったらしい。有料道路を出るランプで、ゆっくりコーナーをまわる私を、マサがものすごい勢いで抜き去った。おー、スゲェとか思って見ていたら、そのままガードレールに張り付いて挙げ句の果てに前転してひっくり返った。
慌てて駆け寄ると、幸いマサに大事はなかった。その頃はカブに乗る時でもきちんと革ジャン着ていたし、ブーツやらグローブなんかもきちっとしていたおかげだろう。
しかし、カブの方は、ガードレールの支柱にぶつかった衝撃で、フロントフォークが歪んでしまっていた。フロントの泥除けがタイヤにめり込んでいたくらいだから相当曲がっていたのだろう。とりあえず帰らなければいけないので、フロントフォークをナイフで切り落とし、タイヤがまわるようにした。エンジンはかかったので走ってみる。まっすぐ走らない。勝手に左側へ進もうとするのだった。渾身の力でハンドルを右に切るとどうにかまっすぐ走ってくれるというような状態だった。
あまりに疲れるので、10分交代くらいでカブを交換して帰った。右手だけでは疲労が激しいので、左手も右ハンドルに添えて引っ張って走った。
きっとホンダはこういうことも考えて片手運転できるようにカブを設計したのではないか。んな、わけはない。:p)
- おまけリンク
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カブの話し
閑古鳥経由で精神年齢鑑定をやってみる。
鑑定結果
あなたの精神年齢は35歳です
あなたの精神は『中年』になりかけています。一人前の大人です。若々しさはほどんどなくなりましたが、代わりに大人としての風格が目立つようになってきました。しかし、そろそろ年を考えなければならなくなりそうです。
実際の年齢との差-6歳
あなたは実際の年齢より少し幼稚です。周りの人に頼ってばかりいませんか?これからはもう少し大人になる努力をしましょう。
- 幼稚度44%
- あなたは小学校中学年並みの幼稚さを持っています。がんばって一人でなんでもできるようになりましょう。
- 大人度57%
- あなたはなかなかの大人です。冷静さもあり、精神的も発達してきています。
- ご老人度47%
- あなたは既に『初老』の段階に入ってます。もはや止めることは誰にもできません。おじいちゃんに急接近です。
- あなたとお友達になれそうな人
- 所ジョージ
- サザエさん
ふむ、ひろりんさんに勝った(?)みたいなんでよしとしよう。
昨日、交通事故で2ヶ月ほど入院していた親父がようやく退院してきたと思ったら、今度は長男が熱を出した。このくそ寒いのに毛布1枚だけで寝ていたのだから自業自得ともいえるが、誰に似たのか本当に寒さに強い奴だ。11月に入ってもまだ扇風機を回して寝ていたのだから。
けんたろさん(誰)のリクエストにお応えして。(謎) ちょっとずつ不定期連載ということで。
高校生の頃
中学生の頃聞きまくっていたビートルズから、もう少しハードなロックに趣味がかわりブリティッシュ系のロックを好んで聴いていた。Led Zeppelin とか、Cream とか。当時の高校生では多かったパターンだ。とくに私は、Jeff Beck のギターが好きで、自分でギターを買って練習してみたりもしたが、ほとんど弾けなかった。
その系統の音楽を聴き込むにつれ、どうしてもたどり着くのがブルースと呼ばれるジャンルである。しかし、田舎に住んでいたためろくなレコード(CDじゃないよ)を手に入れることも出来ず、それらしいものでゲット出来たのは、BB.King の "Live at the Regal" くらいだった。しかし、あれはなかなかいいアルバムだったと今でも思う。
その頃から、クロスオーバーとかフュージョンとか呼ばれるジャンルのものが流行り出して、ギター小僧としては、一応聴いていましたね。超絶的なギターテクニックに憧れましたが、憧れただけでした。:p)
あと、もう少し洗練された系のものとしては、SteelyDan とか、WetherReport なんかも聴きました。お洒落でしたね。
バンドを作るほどうまくなかったし、メンバーも集めれなかったので、ライブとかはやりませんでした。ただ、一度だけ、高校の演劇部から地元の大蛇伝説を題材にした芝居の効果音を作ってくれと頼まれて、学校の放送室をスタジオ代わりに使わせてもらい、ギターにエフェクトかけてごにょごにょしてみたことがあります。
娘は実は大蛇で、悲しいけれどその正体を明かさねばならなくなり、本当の姿に化身する、そんなシーンの効果音です。おどろおどろしくしようと躍起になって作ってみましたが、結局採用されませんでした。実際に芝居のそのシーンで使われたのは、King Crimson の "The Court of the Crimson King" で、私が作ったものよりはるかにマッチしており不採用でよかったです。私は、そのままその芝居を少し手伝い、ドライアイス係をしました。
オールアローン
大学生になり、名古屋に住むことになった。大学のそばのアパートに下宿したのだ。四畳半一間で、トイレ共同、台所無しで、家賃は確か月1万2千円ではなかったかな。
下宿の隣に住んでいたのが、N沢で、彼はニューミュージックファンだった。同じ大学の私は経済学部で、彼は農学部でした。ある時、彼に教えてもらったのか、あるいは他の人だったのか忘れましたが、近所にジャズ喫茶があるのでいっしょに行ってみようということになりました。私が「All Alone」と出合った瞬間です。もし、私がオールアローンへ行っていなかったら、おそらくまったく違った人生を送っていたと思う。
昔はジャズ喫茶といえばそういう店も結構あったらしいのですが、オールアローンは昔気質のジャズ喫茶なので、店内会話禁止でした。店内に入ると、ヒゲのマスターにぼそぼそ小声でコーヒーを頼み、あとは椅子に座って大音量で流れるジャズに聴きいるというのが、オールアローンの習いだったのです。毎日4時間くらいはコーヒー一杯でジャズを聴いていましたね。
マスターは自分で演奏していた頃は、フリージャズを演奏していたそうで、店でかかるのレコードもハードなものが多かったです。その影響で、私やN沢もそういう傾向に流れていきました。オールアローンではリクエストも可能で、マスターに小声で耳打ちするように「Impressions の B 面」とかいうとちゃんと片面丸々かけてくれたのです。それにすごいのは、どんなハードなものをリクエストしてもかけてくれたことです。所蔵レコードを記したノートが有り、それを見てはわけもわからずリクエストしていました。徐々に、演奏者の名前やスタイルを覚えていくうちにどんどんジャズの虜になっていきました。ハードなものを好むようになっていったので私が、リクエストすると帰るお客さんが多かったです。:p)
店においてあるジャズ関係の雑誌やなんかも一応読んだりしました。あるとき、なにかで世界最初の記念すべきフリージャズのアルバムは、Ornette Coleman の "The Shape of Jazz to Come" だ、みたいな記事を見つけました。早速それは聴いてみないとイカンと思って、リストにあるか調べてみました。ちゃんと載っていました。勇んで、マスターにリクエストしました。するとマスターは怪訝な顔をしています。しばらくすると、マスターは振り返って、スピーカーの横に置いてあるレコードジャケットを指差しました。なんと、今かかっていたのがまさに、"The Shape of Jazz to Come" だったのです。(恥
ある日、衝撃的な音に出会いました。阿部薫の「彗星パルティータ」がかかったのです。私は完全に逝ってしまいました。説明不能です。凄すぎです。ただアルトサックスをひとりでめちゃめちゃに吹いているだけなのに。だけなのに。だけなのに…。
これがやりたい! そう思いました。
(続く)